信楽の登り窯窯元    「宗陶苑」の日記。      焼き物製作、商品紹介、日々の日記などなど・・・


by soutouen

カテゴリ:会長( 8 )


“むかしの道具”

一.物造りは総て手造りであった。

二.つくり手が補助の為にふさわしい“もの”、用具で身近にあるなんでも応用した。

三.物造りの“知恵”そのものである。

四.作品が総て個性の結集となる

五.伝統の源(ミナモト)を生んだのは“道具”である。




手造りのもの

木製品 ヘラ、型。底コテ・キヨゴテ・荒ゴテ・内ゴテ、タタキ板。
竹製品 ヘラ 多数形状。番笠の頭。
金属製品 ヘラ、剣先、鉋各種。
布製品 蚊帳、ドンゴロス、レース、タオル、ガーゼ、毛布、網目布
ゴム製品 ヘラ、タイヤ
動物製品 鹿皮、羽各種
植物製品 押し花、葉形紋(モミジ、ツバキ等各種)、タワシ、ワラ、刷毛
セルロイド 平面、波紋、雲状




日用品

食器類 ナイフ、フォーク、スプーン、箸、楊枝
調理具 包丁、巻き寿司用簾
大工道具 ノミ、ノコギリ、カケヤ、キリ、カナヅチ、ペンチ、バイス、ノギス、フルイ
化粧道具 クシ、ブラシ、バリカン、カミソリ
裁縫用具 針、鋏、糸
学用品 コンパス、スケール、分度器、千枚通し、筆、鉛筆、筆巻き
天然物 かる石、溶炭、貝殻、木(木目、年輪)、石膏(型、印利用)


                          寿方記

 
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by soutouen | 2011-07-16 16:49 | 会長 | Comments(0)

陶工に生きる

結構「わんぱく」坊主の記憶がある。窯校時代以降は〝頑張りや〟だったと自負している。

粘土にふれたのは幼時からと思う。
父母は陶工職半分、農業半分の半農半陶の生涯を通して来た。
戦中時代の為、家族8人~9人の生活に専念、私は5人兄弟の長男として生れた。
『耕作、勤勉、現金』の家訓通りの家庭教育でなごやかなうちに厳格で厳しい育ちをうけて来た。
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1番記憶にあるのは百姓の手伝いである。
泥んこで重労働が嫌で嫌で仕方ない思いがある。
父は将来を考えて中学は農林学校入試の願書を出していた。
一応叱られたがキャンセルした。許してくれたのは陶業での進路希望である為であった。

しかし当時(昭和13年)の陶業界は炎が消えた状態である。
窯業学校に入学1年時は窯業全般、2年3年は轆轤(ろくろ)科に進んだ。
3年生の1学期で軍需工場への徴用を受けて三菱航空機入社。
性に合わない、面白くない。海軍通信兵に志願入隊する。
当時17才であった。

同期生約2,000名、1分隊180名で11分隊である。
私はトンツウ式分隊でモールスをトンツーで暗記する。
別に合調音暗記と二種。他信班があり英文である。16才~17才の少年である。
3ヶ月間は新兵教育と通信基礎教育で卒業。
校長賞11名(分隊に1名)賞状と萬年筆を受ける。
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続いて通信兵教育である。同期生が8ヶ月、10ヶ月、12ヶ月の三回に卒業である。
60名づつ資格取得者が卒業して行く。
無茶苦茶に努力した御蔭で第一期に卒業した上、約2,000名中10名の恩賜賞を受けた。
菊の御紋章入りの時計であった。県庁を通じて町役場より伝達された。

自慢に成るが私の一代転機の源と成った。
60キロのの体重が48キロに1年弱で減っていた。
成長盛りの時期での事、『無茶苦茶努力』
筆舌に盡せない文字通りである。
細部は折に触れ話す時もあろう。
1年余りで敗戦。当時、海防艦に乗船。
対潜水艦、掃討と戦国護衛が主であるが何回も襲撃を受け、生死の境を想い出す。
よく生きて帰れた事が人生の運命と思う。
復員後、命を受けて海上保安隊に半年。合わない。
やはり私は陶工であった。
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寿方
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by soutouen | 2009-10-09 11:53 | 会長 | Comments(0)

想うままに

傘立の始まり

45年位前の事。100年近く前から陶業界では陶祖に感謝のお祭りがある。新作発表の品評会に始り、今は信楽焼綜合展と言う競技会風に賞をつけて発表している。
その場で私は『傘立シリーズ』のテーマで60種程の新作を展示した。10数名のデザインを採用したので面白いコーナーに成ったと満足していた。
しかしオープンの前日の事。問屋の数人が、こんなん売れるか?との講評を耳にした。直ぐその後、某問屋の社長の1人言(ひとりごと)を聞いた。「こ、ここ これ面白いぞ」との吃音(どもり)の言葉である。私はここで自信を持った。
約10年後、信楽焼のヒット商品に成り年商8億とも言われた。

その頃宗陶苑で灰被りの超高級の傘立を焼いた。
全国の名旅館100選の紹介紙に掲載されている(約30年前)。是が京都のトップ旅館 柊屋(ひいらぎや)の玄関である。表紙に迄採用された。来客に見染められて数回の追加の納品に及んだ。
ちなみにこの作品は信楽焼の伝統工芸品と呼べる茶陶用の粘土を使用し、のぼり窯の灰被り製品でビードロ、石はぜのある花器としてもオブジェとしても充分な作品で価格も桁が違った作品で有った。

傘立は傘を入れる只の容器ではない。毎日来客が目にする、置物であり、アクセサリーであって、玄関の主役である事が認められるヒット商品となった。
昔、長火鉢と呼んだ、店頭等で椅子用の長い火鉢があった。
それに灰を入れないでステッキ挿しとして玄関に置いたものがあった。富豪家の玄関でしか見られなかった。

戦後の日本の住宅は玄関が無いと言うので?洋風に変りドア一枚の入口式になった。しかし住居には床の間のある奥の間に変る応接間が出来て、玄関の様子も変った。
第一印象は『玄関にあり』の時代を想定して手造り本意で造っている。45年前のアイデア賞が生きて来た。
機械で量産するもよし。しかし美術工芸品と呼べるものも競って作ってほしい。
信楽焼ならではと思う。

                                             寿方記

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画像は最近撮影した宗陶苑の傘立です。
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by soutouen | 2009-04-16 16:54 | 会長 | Comments(0)

想うままに

窯元めぐり

窯元めぐり・・・
頒布会のタイトルとして提案した約50年前、満場一致で採用された。
続いてサブタイトル“居ながらにして、全国行脚の夢実現”
これも賛成で採用されスタートした。

当時信楽焼の主力製品の火鉢が急減して、次の製品植木鉢の需要が高まり、庭園関係製品も伸びて来た。
産地組合では毎年一回、品評会、競技会、綜合展と呼ぶ新作、力作の展示競技会が産地振興事業として新製品開発の催事を実施されて来た。

私は入賞を考えず、自分の好きな物造りの発表をする機会として出品を続けて来た。
年毎に希望を感じた。ある年は陶板(レリーフ)を発表、又は傘立シリーズ、60種出展、噴水シリーズ、食器、花器、茶陶、(当時のしがらき焼では殆ど量産されていないもの)将来に望みを掛け、呼び水のつもりで出展して来た。

そのある年、京都市に本部を持つ名菓名物趣味鑑賞会を名乗る財団法人の理事長以下3名の役員が弊苑に来られた。会場の製品を見て来た。
全国の銘菓や漬物等の物産を各県の銘菓の老舗を販売店とし、会員制度の頒布を行っているグループです。

素人だが焼物の通信販売をやりたい。賛同せよとの事、美濃焼のM氏、萬古焼T氏、備前焼のK氏、清水焼のG氏と私。
産地より5名、前記役員5名増員されて企画会が行われた。
焼物の頒布会は百貨店、老舗陶器店が沢山行っていた。
しかし商品に疑問をいろいろ感じている。産地窯元の本物を頒布したとの意向であった。
条件に手造りのである事、1ヶ月頒布数2~34個製産可能の窯元等々である。
茶器、花器を6点づつ12点採用する。

出品産地は15産地とする。3産地は落選する。
美濃焼、清水焼、瀬戸焼、有田焼、九谷焼、信楽焼、備前焼、万古焼、布志名焼、京楽焼、萩焼、砥部焼、益子焼、常滑焼、伊賀他1~2産地が出品した。
当時の信楽では、箱に木綿で梱包する事が始めてであった。

チナミに当時の頒価は半ドル会180円の場合と1ドル会360円であった。

支払いは1ヵ月後の現金払い。手形時代に最高条件であり、特に信楽の評判は、
手造りであり、のぼり窯であり、ボリュームの製品であり最高と喜んで頂いた。
大きな新販路開拓であった。

出品作品は抹茶茶碗、夏茶碗、蹲掛花入、旅枕掛花入、懸水、菓子器、渦紋コンポート
四方花入、松皮水碗、つくし花入、とちり花瓶、つるべ花入、手桶花入、等々である。
各窯元が努力の結晶を出品して的中率は頒布業者が最高と喜んでくれた。当然我々も約10年間恩恵の時代であった。

寿方記

下は今回の窯出し作品です。
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by soutouen | 2008-12-21 17:14 | 会長 | Comments(0)

想うままに

『作ること』

次の窯の作品を造ろう。
秋である。食欲の秋、うつわの姿が浮んで来る。
鉢もの。皿もの。飲みもの。沢山の形「かたち」が浮んで来る。


先ず落ち付いて考える 心である。

父の作陶四原則が

"心を練る"・・・あせるなを意味している。迷いや欲が出て来る。
心を落ちつける・・・この事第一義である。


"構想を練る"・・・落ちつく事に依り浮んで来る。
普段着の気楽なもの造りの時もやはり愛着のあるいつも使いたくなる物。
是(これ)が本当、一番難しい。

永年造り続けると、記念になるもの、快心の作、自身がほれるもの、他人に褒められるもの等々夢を持つ"事"、達成は無くとも必要である。
少しづつ近づいて居ると思ふから作陶は楽しい。


"土をよく練る"・・・結論は土練(どれん)であるが奥は深い。
先づ造る作品を目標に配合である。専門的には必要な条件いろいろ有る。

◎焼成温度、作品の形状、大きさ、厚み、等々多様な上に私が造る作品はどんな燃料かが問題である。
練り過ぎた・・は絶対無い。過ぎる程に粘土に丸みが増す。角(かど)が取れる。手ざわり、馴れが造形を助けてくれる。揉む、もむ、モム・・・・・・・・
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最後の仕上げ、"焼上げる"。何を焼くにも急激な温度は禁物である。
そこで『練り焚き』と専門語が出て来る。所謂(いわゆる)"除熱(じょねつ)"が必須である。
焼締めのと言う言葉も使える意味も分かって来る。
伝統工芸の本旨はここに在りだ。
長い時間、高い温度で沢山の薪を使い、大きな変化を望む信楽焼。耐える粘土が埋蔵されているまさにお宝である。感謝、感謝。
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今日(9月23日)83才の誕生日、とんでもない作品が出来てしまった。
楽しみだが、不安である。次の窯出し待ち遠しい。

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作陶四原則
1、心を練る
2、構想を練る
3、土をよく練る
4、火を長時間使って焼上げる
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by soutouen | 2008-09-29 17:38 | 会長 | Comments(0)

想うままに

「窯出のとき」

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みんな違った顔をして出て来る。
にくい子は1人もおらん。
誰が言ったか「景色」とピタリの表現である。
明るいもの、暗いもの、淡いもの、炎の芸術そのもので
何十年、何万個、数知れない窯出を経て来た。
絶対同じ作品は1つも無い。
手造りで、のぼり窯(燃料が薪)の製品だから・・・最高に楽しい。
この窯出を400回以上体験している。
都度都度、やっぱりみんな違っている。
満足した事は無いと云えよう。しかし、必ず感動を与えてくれる。だから続けられる。
落胆はしない。望みに変える事が続けられる所以(ゆえん)である。
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先ず火袋の作品である。最前列で最長時間、炎を浴びる。
過酷と言える程の表現の世界・・・。
だから希望と期待の表現である。
大小100点程の内で約10点の大きめの作品。
みんな夫々(それぞれ)の表情である。
中で特に一点、水母壺(クラゲツボ)と銘が即、浮んだ形もあるが、何かこう呼びたい。
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只の灰被りでない、論山(ろんやま)の土の灰被り紫色を帯びた
古信楽に出て来る私の好きな姿色である。
景色のよいものに山キズがある。これがのぼり窯。
残念だが、当然と割り切り、面白いと考える。(窯出しの心境)

気になる作品は「限定品」の焼上りである。
今回は“鬼の窯”である。
メインは「鬼桶」と名付けられた。信楽の名器の水指である。
案内した作品より景色の良いもの、希少価値のよいものが望みである。
限定数の倍近い数を窯入れする。
お客さんに喜んでほしい。好みがあるので、いろんな表情で出て来てほしい。
望む作品がやれやれ、七割程窯出しが終わった時点で顔を見た。これで今回も安心・・・
うつわ、庭園陶器、置物等、夫々
手造りとのぼり窯の味を持って出て来てくれた。有難う。
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                                             寿方記
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by soutouen | 2008-08-29 14:51 | 会長 | Comments(0)

想うままに

《思い付きで》

のぼり窯に火を入れて4日目、火袋の大焚き、投薪(とうたん)の時、
構内一苑に黒い煙で覆われる。
近隣の皆さんには本当に迷惑である。
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「信楽の姿である。」
・・・苦情をこらえて下さることに深い感謝の念、忘れてはならない。
伝統を守る為の理解と信じている。


日本には薪以外のエネルギーは存在しない国である。
世界がこの一世紀、化石燃料を使わず薪で辛抱すれば温暖化は無かったろう。
近代化には勝てない人間社会をどう理解すれば?
サミットの話題は何であろう・・・

科学の力でもっと進むのか。
「もったいない」、「辛抱」をするのは人類であろう。
みんなで熟考しよう。

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薪は人類に大きな貢献を与えてくれる。
世界中の焼物界はみんな薪から始まった。
日本の場合、赤松を筆頭に総ての樹木が焼物のエネルギーである。
必須の存在であると同時に作品、器物に燿変(ようへん)と呼ぶ様々な変化を与えてくれる。

日本では茶人を始め、これ景色(けしき)と表現し愛眼愛用している。
私はこの素晴しい変化が、絶対に同じ物が無い(出来ない)
この希少価値を好むと表現するより、尊さを感じる。止められない・・・

10日程たつと、この窯出(かまだし)をする日が来る。
何百回重ねて来たが、いつも同じ気持でこの日を待たせてくれる。

作陶から仕上げ乾燥、窯詰め、窯焚きの長い工程で、
都度微妙に原料の粘土の調合、巧み、デリケートな心配りが希望に連なる。
最後に炎が仕上げをしてくれる。

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のぼり窯、それが私の命、いのちである。
もうすぐ 答えは次回に・・・

寿方記
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by soutouen | 2008-08-13 08:40 | 会長 | Comments(0)

想うままに

※今回より不定期ではございますが、弊社会長 上田寿方の文を掲載させていただきます。
宜しくお願い致します。




《想うままに》

自身の手で図面をつくり、泥集めから始めて1年余り、1951年にのぼり窯を築いて60年になる。
“永い様で早かった”じゃ無い、“無我夢中” 体力の続く限り焼物。作陶で進みたい。

造る職業と云えば数万と有ろう。
自論の焼物のみが『永劫に残る、燃えない、朽ちない、錆びない』他に類がない物造りである。
私は職業である為、何万個と造ったであろう。
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50年前、アマチュアの人に体験して頂く設備として、『工作室』と名付けた。
同じ頃より文部省が義務教育で造型教室として全国的に粘土工作を実施された。
10年位で『陶芸教室』と改名した。
今度は公民館活動の中に陶芸部門として始まり益々盛んになった。
創始者として、本当に喜ばしい事であった。
現在、日本中で盛んなリクレーションとなった。
幣苑は小学校の修学旅行で卒業記念品造りの体験に組込まれて、深い意義ある事と思う。
今日(2008年7月19日)も奈良県某町教育委員会の少年の集い会(4,5,6年生)で
作陶体験の団体に、信楽の歴史、特徴に加えて、
「なぜ焼物か」の御話を約40分の予定で行う。
充実した一日体験になる様、御力に成りたい。
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老いの身乍ら、大正より昭和を終えて、平成の孫に体験を伝えたい。
この動きが健康保持と作陶につながるものである事を信じて次回にも《想うままに》・・・・

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・・・上田寿方・・・
登り窯窯元 宗陶苑 会長
※詳細は弊社ホームページにて。
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by soutouen | 2008-08-02 09:36 | 会長 | Comments(0)